11月10日(土)、「紅葉の摩尼山トレック-『賽の河原』石積み塔づくり」が開催されました。主催は本学浅川滋男教授が委員長を務める登録記念物「摩尼山」活用整備検討委員会です。活用整備の基本コンセプトは日本最大の登録記念物となった摩尼山の「歴史性と景観の回復」であり、今回のイベントは、このプロジェクトの一環をなすと同時に、平成30年度公立鳥取環境大学学内特別研究費助成「登録記念物『摩尼山』の景観整備に関する基礎的研究-賽の河原と地蔵堂の復元を中心に-」の一部でもあります。当日は快晴に恵まれ、紅葉まっさかりのなか、定員30名をこえる48名の参加者でにぎわいました。とりわけ子供連れの家族客は仮装した赤鬼や地蔵尊に大喜びで、記念撮影の依頼が殺到したようです。
摩尼山鷲ヶ峰の立岩(たていわ)に近接する平場周辺を「賽の河原」と呼んでいます。18世紀末の『因幡志』には、石を積み上げた小塔が「財(さい)の河原」に散在する様が描かれています。摩尼寺では、この辺土を「西院(さい)の河原」とも呼んでいます。幼くしてこの世を去った子供たちが親を偲んで小石を積み上げるのですが、鬼がやってきて塔を壊し、再び「積め積め」と指示して消えた後、地蔵尊が子供たちをなだめる筋書の和讃本が残っています。
今回のイベントでは、まず摩尼川源流沿いの古参道を歩きながら小石を集めて奥の院経由で鷲ヶ峰までもちあがりました。その後、『西院の河原』和讃本のストーリーに倣い、いったん小石を積み上げて供養塔を作るのですが、まもなく赤鬼があらわれてすべての塔を壊し、もういちど積めと指示します。その命令にしたがって、参加者は場所を調整しながら、少し大きめの塔に作り変えました。そこで鬼は去り、代わりに袈裟(けさ)を着て錫杖(しゃくじょう)をもった地蔵尊が子供らに近づき、裳裾(もすそ)の下に抱きかかえました。
最後に摩尼寺の居川敬信副住職が新しく作られた石塔群に対して読経供養し、下山の運びとなりました。参加された60代男性の感想を紹介しておきます。
【参加者コメント】 私は福部町湯山に実家があり、作業中にラッキョウ畑から眺める摩尼山方向に、亡父から聞いた「奥の院」を想い浮かべておりました。
「摩尼山には子供の頃にメジロを獲りに行っていた。奥の院には大きな岩があってすごいところだ」との父の言をよく覚えていますが、聞いていた遺跡を目の当 たりにして「まさにすごいところだ」と感じ入りました。
昨日(11日)はラッキョウ畑より立岩方向を望みながら、これから冬になり、石塔の上に雪が静かに積もるんだなとセンチメンタルになりながら、防除(消毒)作業をしておりました。
関連リンク先(浅川研究室ブログ)
積み上げられた塔を壊す赤鬼たち
地蔵尊と子供たちの記念撮影
完成した石積み供養塔の一つ
学生の記念撮影(展望所)